「常今」について

あるときふと、「常今(とこいま)」という言葉が降りてきたので、調べてみましたが、ほとんどヒットしませんでした。

この言葉は、「今」がすなわち「常」、つまり永遠へと至る「通路」であることを意味しています。

時間は直線的に流れているのではなく、「今」という瞬間が常に存在するのみです。

時間の直線性は、ひとえに、記憶作用によって仮想的に生じているものであり、時空の宇宙にもまた、直線的に流れる時間はありませんが、ただ、局所的には、分離が極まった結果として生じる、物質化した記憶作用のために、直線的な体験の積み重ねが生じることはあります。

時空の宇宙は実は、ある種の「無限ループ構造」をしていて、そこでは、本質的に同じことが、様々な形で延々と繰り返されています。

物質性もまた、絶えず現れては消えていますし、地上で知られている物理法則もまた、実は、地上性の延長として、局所的にのみ妥当します。

しかし、時空とは実は閉じているのではなく、「すかすか」なのですが、その「穴」は、実は、「今」にあります。

そうしたことも含めて、このサイトで少しずつ書いています。